ボルシア対インテル戦:法廷で争った試合 | ユーロナイト

ボルシア対インテル戦:法廷で争った試合 | ユーロナイト

 ネラッズーリ史上最も記憶に残る試合の一つ。

 ピッチ上で勝利に関係なく価値のあるゲームは存在する。歴史の中にはサッカー以外の理由で語り継がれる試合もある。インテルは1970年代初頭にその様な試合を1つもしくは3試合残した。その対戦相手は「20世紀最高のチーム」と称された。

 ボルシア・メンヒェングラードバッハ対インテル戦は全ファンの記憶に光を灯す試合。両チームの激突は特別で歴史的な一戦という記憶を呼び起こす。1971年10月20日に行われた7-1の試合。しかし同試合はサッカー史の本から消去された試合となった。

 同試合の物語は大半の人に知られているが、今季チャンピオンズリーグの試合に向け、当時の人々の声を使って段階的に振り返る。弁護士プリスコの息子イヴァノ・ボルドン、タルチシオ・ブルニッヒ、ロベルト・ボニンセーニャ、ジャンフランコ・ベディンが50年前の10月に行われた有名な「Match of the tin can」が記憶を蘇らせる。同試合の再戦、サン・シーロでの勝利、そしてネラッズーリの弁護士が戦った信じられない法廷闘争。

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 1971年10月20日、インテルはボーケルベルクシュタディオンに集まった27,000人の前で2度のドイツ王者となったボルシアと対戦。同観客の5000人はイタリア人だった。同試合はチャンピオンズカップ・ラウンド16の1stレグ。試合開始21分ボニンセーニャがインテルにゴールをもたらし、その後ボルシアは2-1でリード。そして29分には衝撃的な事件が発生した。スタンドから投げられたコカ・コーラの缶がタッチラインの近くにいたボニンセーニャの頭に当たった。彼はオランダ人審判ドルプマンスの近くの地面に倒れ込んだ。ボニンセーニャが担架で運ばれ、雰囲気は殺伐とした不穏な空気となった。インテルはその出来事にショックを受け、前半終了時にネラッズーリGKリド・ビエリが信じられないスコアを目の当たりにしていた:ボルシアが5-1でリード。若いイヴァノ・ボルドンと交代したヴィエリがピッチに入るも後半は試練の45分間となる。まずインテルは交代カードを全て使用した後、ジャイールが負傷。つまりチームは10人に減った。コルソはその後審判に猛抗議したためレッドカード、インテルは9人となり7-1で敗れた。

 イタリアスポーツ法人はこの種の事件に関して明確な立場を示したが、UEFA規則との間にはギャップがあり、過去に前例がなかった。弁護士ペッピーノ・プリスコは彼の経験とプロフェッショナリズムを信じて、ジュネーブでの懲戒委員会で同事件を分析した。裁定は前例のないものとなった。同試合は無効になり、中立的な開催地で再試合が決定。その結果、ボルシアでの1stレグが無効化された。同ドイツクラブも10,000スイスフランの罰金を科され、同時にサン・シーロの第2戦は11月3日に確定された。

 サン・シーロでインテルはベルージ、ボニンセーニャ、ジャイール、ギオがゴールを決めて4-2で勝利し、雰囲気は最高潮に達した。壮大な試合であり、ブルニッチは靴擦れをしながらプレーしていた。同ドイツチームはは既に懲戒委員会に抗議することを考えていた。彼らが受けた唯一の譲歩は再戦はベルンではなくベルリン開催であること。1ヶ月で3試合目となるボルシア対インテル戦はオリンピアスタディオンで行われた。

 86,000人のファン、配備された警察、ジャーナリスト、テレビ局が集い、ワールドカップ決勝の風景がそこにはあった1970年メキシコW杯でのイタリア対ドイツ戦の様にすべての目が同試合に向けられた。同試合中に、若いボルドンが英雄となるべく素晴らしいパフォーマンスを披露し、ネラッズーリの準々決勝進出に貢献した。

 裁定後のペッピーノは「7失点を防いだ気分だ」と言った。しかし実際に同氏はそれ以上のことを成し遂げた - 国際スポーツ法の歴史に功績を残した。


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