インテルへの手紙 - ニコラ・ベルティ

インテルへの手紙 - ニコラ・ベルティ

インテルのスターからファンへの手紙:ネラッズーリの旅はベルティと共に始まる

 それは後半45分、試合には勝っていた。しかしボールは宙を舞っていた。私はニコラ・ベルティ、ボールを野放しにはできなかった。私は走ってボールをクリアしようとしたが、防ぐことはできなかった。自分の体を保護できずに、私は身を投げざるを得なかった。

*SNAP*

 私は多くのくだらない声を聞いた。怪我を負った後に不満を言い、「いつピッチに戻れるかは分らない」と言う者。靱帯を断裂した時に私はこう言った、「オーケー、これは私が対処すべき問題だ」と。そして怪我と向き合った。飛行機に乗ってアメリカのコロラド州ベイルに向かい、スティードマン博士に連れられてスキー場のそばに建てられた博士の病院へ行った。私は考える間もなく、4か月半後にはすでにランニングをしていた。そしてこの怪我に打ち勝った

 1993年9月8日にインテルがリーグ首位だった時に離脱し、私が復帰した時には、以前には決して起こりえなかったものを目にした : インテルは残留のために戦っていた。ジャンピエロ・マリーニにこの日マリーニが私の復帰について何を思っていたか聞いてみるとよく分かるが、私は決定的に重要だった199448日の対レッチェ戦で復帰しダイビングヘッドで4-1となるゴールを決めた : それまでインテルは長い間勝つことができていなかった。足が相当に疲労していたため欠場せざるを得なかったUEFAカップ準決勝1stレグの対カリアリ戦で、アウェイのインテルは3-2で敗れた。サンシーロで行われた2ndレグで、私は闘志を見せた : 先制点となったPKを獲得し2点目を決め3-0で勝利した我々は決勝へと駒を進めた。マルコ・サンナの厳しいマンツーマンも物ともせずに。ベルティは帰ってきた。

 その通り、私は怪我から復帰し、インテルも私と共に復活した。未だに奇妙に聞こえるが、我々は残留を確かなものにした(対ローマ戦での私のゴールのおかげもあって)。受け継がれる意思について考えてみよう : ニコラ・ベルティのおかげでセリエBに降格することは決してなかった!

 しかし私の仕事は完成にはまだ遠かった。ウィーンで行われたUEFAカップ決勝1stレグでソサは私にプレーをさせた。その日背番号9のユニフォームを着た私は、完璧には試合をコントロールできなかったが、アウェイでの1-0の勝利は上出来だった。我々はミラノへ帰り、数日後にサンシーロで行われる最終決戦を心待ちにしていた。

  私はサルソマッジョーレから全てを始めた。コンビサルソではストリートサッカーでボールを追いかける代わりに、定められた分野にエネルギーを費やすことができたが、この地を去ることもできただろう。私はすでに強く、もちろんトレードマークの髪形もすでに決まっていた。この髪形を纏えるのは二人だけ : エルヴィスプレスリーとニコラ・ベルティだけだ。風に髪をなびかせて私は走る。クロスカントリーのレースではいつも1位だった。私には野生の素質があり、回復力が早かった。そしてそれは起こった。

  数日前に、偉大なジャンニ・ムラが新記録を樹立したインテルについて書いたリポート集を読み返した :

「ベルティは自身を律する方法を学ばなければならないが、一度ベルティが前に走り出せば誰も止めることはできない。見かけは悪いがとても効率的なベルティのエチオピアスタイルの走りは、見ていてセンセーションを感じる」

 私の走るスタイルが悪いかどうかはわからないが、極めて効果的であることは間違いない。1994年のアメリカの焦げるような暑さの中でさえ心地よく思い、まるで自分がガゼルであるかのように感じた。多くの選手はハーフタイム時にベンチに下げてくれと頼むほど、この多湿の中でプレーするのはほぼ不可能だった。しかし私が考えていたことは、いまこの瞬間を楽しむことと、ひたすら走り続けることだった。

 私がピッチを駆け回る姿を見て、アルド・セレーナと間違われたこともあった。しかしこれは昔のことではなく、1988年8月のコッパイタリアでのインテル対モノポリ戦で起きた。これは私のインテルでのデビュー戦だったが、しかしながら普通のデビュー戦とは様相が違っていた。奇妙な夏に私はやってきた :フィオレンティーナファンのアイドルだった私を獲得しようと多くのクラブが狙っていて、ペレグリーニは私との契約のために70億を支払った。私はすでにイタリア代表に招集されていたが、しかしその時に腎臓に異常が見つかった。手術を受けなければならず、ユーロに出場することはできなかった。アゼリオ・ビチーニが病院にお見舞いに来たことを覚えている。

 要するに私のヴァレーゼでのデビューはパフォーマンスからではなく、その風貌のせいで記憶に残るものとなった。私はすね当てを必要とせず、つけていなかったが、インテルでのセレーナも同じだった :私のようにセレーナもストッキングを丸めて下げていた。しかし、私には特別な理由があった: 勇敢さを証明し、全員に挑みたかったからだ。

 対モノポリ戦の試合でピッチを歩いていると、スタンドから観客が叫んでいるのが聞こえた : 「セレーナ、もっと走れ!」。短い靴下を履いて全く走っていない細くて背の高いやつ、そう、恥ずかしいことに、私のことだった・・・。

 しかしその後、私はインテルのためにたくさん走り、シーズンの早い段階で1989年のスクデット獲得を決めた。第4節にはサンシーロでローマに2-0で勝利 し、この試合で 私は先制点を決めた。第5節にはヴィアリとマンチーニ擁するサンプドリアをホームで迎え撃った。このゴールをもう一度見てほしい。素早く前線へ突破しシュートを放ったマティウスを私は文字通り追い越して行き、パリュウカが弾いたこぼれ球を押し込んだ 1-0

 この二つの大きな勝利は、我々が最強であることと、記録を破ることができるという兆候だった。

 たとえ私が「ACミランでプレーするくらいなら負けたほうがましだ」と言ったとしても、もちろん勝利が一番だ。素晴らしいストーリー、それらのダービー。セバスティアーノ・ロッシのオウンゴールとして記録された対ACミラン戦でのゴールを、私の最高のゴールとして人々が記憶しているのは事実だ。しかし、実際に私の心に最も残っているゴールは1993年4月の試合のものだ。いつもこの話をしている:それはゴールではなく歌であり、数分にわたって鳴り響いた。いつもサンシーロの大歓声とピッチ上の叫び声が聞こえてくる。私はたった一つの動きでマルディーニ、バレージ、コスタクルタを翻弄し、前線へドリブルしてフェイントを入れ、ファールを受けた。打撃を受けた上に私も警告を受けた、それはクレイジーなファールだった。

 私は北ゴール裏のファンの前にいて、ファンに知らせた:私が点を取る。そしてゴールを決めた。クルヴァ・ノルド(熱狂的ファン)の目の前で、ACミラン相手にベルティがゴールを決めた

 愛する背番号8を自ら手放そうとも、私はこのユニフォームが好きだった。当時背番号4、9、11を着ていたことは事実だが、背番号8が私の番号だった。マンチェスター・ユナイテッドからポール・インスがやってきた時、彼は「私がインテルについて唯一知っていることは、ニコラ・ベルティがいるということだ」と言った。その年は背中に番号と選手名を入れたユニフォームの着用が求められた最初の年だった。ポールと私はピネティーナ・スポーツセンターで背番号8をかけてテニスで勝負した。テニスを終えコートを出た後、私はポールに「君はゲストで、たった今到着した。背番号8は君のものだ」と伝え、結局私は背番号18を選んだ

 インテルを去ることは簡単ではなかった。1997年のクリスマスに、私は休暇の挨拶のためにクリンスマンに連絡を入れた。その時クリンスマンはトッテナムにいて、私に「ここへ来てみないか?」と尋ねた。私は長らくピッチから離れていたので、それは複雑な時期だった。父親の病気と死を乗り越えるのは困難だったが、モラッティはいつも私のためにいてくれた。私はもはやキープレーヤーではなくなっていた。新加入選手を歓迎しインテルについての知識を伝えていたが、多くの時間をスタンドかベンチで過ごしていた。1998年1月4日に行われたコッパイタリアのインテル対ユベントス戦(1-0)数日後には、ダービーが控えていた。私がよく成功を収めていた試合だ。私の人生のその時期は一つの色で占められていたことを覚えている:空の灰色、私の内側の感情を映しているような色だ。凍てつく雨と霧の中、ロンドンへの飛行機での出発を妨げていたものが消えてしまった。このような形でのお別れは本当に辛い、と思った。とても悲しかったが、その時が旅立つべきタイミングだった

 サン・シーロにもう一度足を踏み入れるまでの旅路は長く、それは私を地球の反対側に連れて行った。しかし何かが欠けており、再び戻る必要があった。私は日曜日にサッカースクールのためにメアッツァに戻った。プリモアランシオ(スタジアム1階席)に座っていると、突如クルヴァ・ノルドのファンが私を見つけた。彼らは試合の間も私を見て歌っていた:

“E facci un gol, e facci un gol, Nicola Berti facci un gol. (点を取る、点を取る、ニコラ・ベルティが点を取る)”

 ファンの温かさと愛情を今日でも街で感じることができる。私はインテルのファンから発せられる終わりのない情熱の真っただ中を歩いている。ファンは、私が彼らのために走ったこと、彼らのために戦って怪我をしたこと、そして再び立ち上がって挑み続けたことを知っている。私が彼らのために勝利したことをファンは知っている。私は全てのインテリスタのために勝利した。

永遠に、Forza Inter

ニコラ・ベルティ


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CARA INTER | NICOLA BERTI UNCUT

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